priv17’s diary

ジェンダー学とかちょっとしてた、社会で生きることに不真面目で男性嫌悪なシスヘテマジョリティ男。

ある時の病みの話

基本病んでいる私の、とりわけ印象的な病み期について。

大学一年生の秋のこと。
私はその大学一年生の夏に趣味の関係で大きなタスクがあって、勉強と両立しながらそのタスクを成功させることに注力していた。そのタスクは無事に一定の成功を収めた。私は自分が燃え尽き症候群にならないか、自分の趣味にまた没頭できるかと心配していたのだが、案外そこまで燃え尽きず、火種は残っているかなと思えた。
そのタイミングで私はやらかす。趣味の場で私はミスをした。ちょっとしたミスだった。言い方が難しいのだが、私がやや勝手な振る舞いをしたというか、なんというか。私は大いに落ち込むこととなる。そこで火種が消えてしまった。もともとその場に馴染まないところもあったのだが、私はその日を期にその場に行かなくなり、その趣味も楽しめず、日々の生活もあまり楽しめなくなった。
私は冷静さもあって、「あっ、これ今の精神状態まあまあやばいぞ」と感じていたし、「今日はしんどいな」という時には一限の授業には出たのに二限の授業を前に帰宅したこともあった。とはいえ辛かったのは事実で、正直あの頃は勉強以外に何をしていたのかあまり思い出せない。その時はジェンダー学に本腰を入れていなかったし、今やっている趣味も大してしていなかったろうから、本当に何をして生きていたのだろうか。強いて思い出せるのは、趣味の世界で別のタスクがあったから、それに向けて頑張っていたような気がしないでもない。

このような精神状態は何とか半年で終わった。その期間の単位も一応落とさなかったし、趣味への情熱も友人のおかげで蘇った。大きな傷は残さなかったといえる。
なぜこの病み期が印象深いかといえば、その時の落ち込み方が自分にしては激情的だったからだと思う。私が常日頃抱えている闇はなんとなくドンヨリと重くて、でもなんとなく慣れきってしまった闇なのだが、その時の病み方はガクンと来た感じで、自分でも危機感を持つに至るほどだった。
逆を返せば、私はまさに今も抱えている闇に慣れてしまって、むしろ危ないような気がする。あの病み期の時のほうがよっぽど上手に生きることができていたような、人生の折り合いが上手くついていたような、そんな気がする。
あの頃は友人が今よりも少なかった、かも。言えるような相手もさしていなかった。選択肢がなかったからこそ自分が踏ん張って何とか立て直せた。今は何かと言えそうな友人がいる。だからこそ難しいことさえある。友人にもたれて倒れ込みそうな自分を見て恐ろしくなる。私は何かと依存傾向が強いから、何まで言うか分別か付かなくなる。
あの病み期は、私の生涯でも特異的な生き方をしていた。今の自分はデフォの下手くそな生き方をしている。どっちが良かったのか。