既存の価値観の上に成り立つものとして認識しているので私は「弱者男性」という概念がとても嫌いなのです。
「大事なのは『外見』、『中身』?」みたいな話は外見は悪いが中身はもっと悪い私に刺さるのでやめてくれ。
生きがいもなく頑張ってもないから、在るんだけど生きてないなという感じがあるし、そんな自分に価値を感じないよね。
こと恋愛に関して自分が幸せな関係を築けず与えられないことにモヤモヤを感じるので、早く乱婚とポリアモリーが浸透し一人でも多くの人が幸せを感じられるようになってくれれば安心して非モテしてられるのになあ。
男に対して「なよなよ」という表現を使う人は分け隔てなく仲良くなれない自信がある。
エッチなことがしたくても恋愛はハードルが高くヤリ目やそういうサービスは憚られ果てにはエロ垢にさえ群がることもできないような男はかろうじて愛せる。
恋愛なんて現状無理なことは認めてその上で夢を語るなら、自分のことを恋愛対象や性的対象としては見ない女性と心の友になりたい。
メンタルが今日はダメダメなんだけど、そういう時の自分の取り扱い方を理解してないのがよりマズい。
時々街中や電車などで「ここで自分が突然しゃがみこんだり、泣き出したり、転んで立ち上がらなかったりしたらどうなるんだろう」と思うことはある。
ジェンダー学、フェミニズム等々を学ぶようになって、つくづく自分の知的能力の低さを感じる。
インターセクショナリティという言葉は弱者性の交差を対象にしているけど、個人的には弱者性と強者性の交差に何があるかも気になるが、まあ優先順位が違うな。
「女性の乳首を解放しよう!」という動きがある中で大変申し訳ないが、私は「男性の乳首を封印すべき」と考えている。
「努力」が枯れてしまうことってあるよね?
『「男性恐怖症」恐怖症』みたいな。
「男嫌い」と人と触れ合いたいという感情が混ざった結果が傍目に「女欲」みたいな感じになっちゃうの本当やだ。
小学校の高学年あたりから「社会」がしんどくなってきた私は「小学校まで」「中学校まで」「高校まで」の単位で「頑張る」をやってきたが、大学のどこかで「そうか、生涯頑張らなきゃなんだなあ」と気付き、そして今の惨状に至る。
成功者にはなれずとも、自分の何かを大切にして生きながらえるなら、それでいいのだと思う。
これまでで唯一付き合った方をひどいフリ方したことを自分の中でどう扱っていけばいいか未だに分からない。
金になることができる奴が一番なんだよ結局な。
私は「男」が嫌いだし、「男」以外はだいたい私のこと好きじゃないので、孤独は覚悟しなきゃ。
あんなやつの方が自分よりも魅力的。
「おめえ使えねえなあ」と刻みつけられて、また小さくなる。
日頃から「男」を気持ち悪い存在と思いがちなので、私の「男」たるところを気持ち悪いと感じることは自然なこと。
メンヘラ的な傾向のある私はメンヘラ的な傾向のありそうな人を見ると幸せであってほしいと願いがちでそれはメサコンに相当近づいてしまう気がする。
現代は最早「『大人』にさえ背負えない」時代なんじゃないんですかね。
自分のことを(シスヘテ)男性であると見なしながら自分との間に友達関係を作ってくれる女友達たちに本当に感謝するとともに、そういう関係は早々作れないことへの寂しさを感じる。
仕事を辞めることになりそうなんだが、親のこと考えたら泣きそうだな。
繰り返し言うが、この時期に薄着している女性を見るとその権利を奪いたくないのと同時に見たくなってしまう自分が嫌になるので何かとしんどい。
社不すぎる〜〜〜!!!
「自分が落ちぶれるわけがない」と思っている人間は、おそらくかなり多い。